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公務員になるはずが気が付いたらJKリフレの店長になっていた

秋葉原でリフレ店をオープンして5年が経ちます。

ぼくは「リフレ店をやりたい!」と人生で思ったことは一度もなく、もともとは公務員になるつもりでいました。

大学卒業まで社会のレールを歩いてきたはずと思っていたぼくが、なぜ今リフレ店をやっているのか、簡単にご紹介したいと思います。

公務員志望者向けの学部へ進学したはずが…

人生の目標を「平穏」とするぼくが進学したのは、地元では就職が安泰と言われる関西の私立大学、そして学部は「公務員志望者」向けの学部でした。

実際、学部で仲良くなった友人も公務員志望者が多く、卒業後に彼らの多くは公務員になっていきました。

ぼくはというと、彼らと同じく勉学に勤しみつつキャンパスライフを謳歌する…

ようなことはなく、初めての一人暮らしで堕落を覚え、公務員の勉強どころか大学の授業もまともに出席せず、単位を落としまくる日々…。

GPA最低評価ながらかろうじて卒業要件は満たし、ほぼ無勉強のまま公務員試験に挑んだ結果、当然不合格。

唯一受かった東京にある金融系の企業へ就職することになりました。

入社後2年で退職を決意、貯金100万円あればなんとかなる?

心機一転、社会人としてがんばろう!

…そんな思いは、このときも入社1か月でなくなりました笑。

大学時代、2浪2留の友人や将来は親の金で一生暮らすと言っている大学院の先輩らとばかりつるんでいたぼくにとって、そこはあまりに社会に適合したまともな人たちが多すぎました。

(驚いたのは、面接の待合室で出会った同じ匂いのするダメ学生たちは皆落とされていて、内定者懇親会にいたのは我が世の春を謳歌してきましたといわんばかりのキラキラ学生たちばかりだったことです)

彼らと競い出世していくのは無理だ、かといって転職活動はいやだと感じたぼくは、定時で帰りつつ副業と投資で稼ごうとすぐに考えを切り替えました。

思いのほかホワイト企業で、週に1日は定時で帰れる、大型連休は必ず9連休取れる会社だったため、隙間時間を見つけては副業に勤しむ日々。

しかし入社2年が経った頃、いよいよまともな社会人のフリをするのが限界を迎えたのか、ストレスで心身を病むようになり、早々とサラリーマン生活をリタイアすることに。

会社を辞めようと思ったきっかけは、TVの対談番組で起業家の家入一真(CAMPFIREの創業者)が話してるのを見て、

「こんな生き方(独立)もあるのか」「こっちに進んだほうが上手くいきそうだな」

と確信めいたものを感じたことでした。

その翌日、上司に会社を辞める旨を伝えました。

当時、貯金100万円・副業収入3万円/月の状態でした。

独立後、リフレ店経営に誘われるまで

会社を辞めた後は、誰にも会わず自宅に引きこもってPCに向かうこと1日15時間。

外出するのは、人目のない深夜2時以降だけという生活を1年ほど送りました。

今はなんとも思いませんが、当時は平日の昼間に外出するとニートだと思われるのが怖くてひたすら引きこもっていました笑。

当時のぼくは「貯金100万円もあれば何とかなるだろう」と楽観的だったのですが、あとで同業者に聞くと100万円で会社を辞めるのはなかなかチャレンジャーだったようです。

実際、来月収益化できないと貯金がなくなる…!というギリギリのところで収益の柱が育ち、8ヶ月目で会社員時代の給与に届き、3年目で事業を法人化できました。

その前後に池袋のリフレ店の店長である桑田さんとTwitter(現𝕏)を通して仲良くなり、定期的にご飯へ行く関係に。

当時まだ桑田さんは夜勤のアルバイトをしていて、彼の破天荒な夜遊び遍歴を面白おかしく聞かせてもらっていました。

そしてWebサイトの作り方を教えてほしいと言われ雰囲気だけふわっと教えたところ、気が付けばリフレ系のメディアを立ち上げ、さらに気が付けばリフレ店のオーナーにまでなっていました。

一人でお店を忙しく回していた桑田さんに遠慮し、また当時夜の世界で働く友人知人もいなかったことから勝手に距離を感じ

「なんだか遠くに行ってしまったな…」

とご飯に行く頻度も徐々に減っていきました。

そして数年が経ち、事業も安定し一人で働くことに飽きが生じ始めていた頃、久々に桑田さんからご飯に誘われました。

そのとき切り出されたのが、

「一緒にリフレ店をやらないか?」

という誘いでした。

当時、新たな仕事として不動産投資・太陽光発電・仮想通貨・はたまた再就職…といろいろ考えるもビビッと来るものがなく、頭を悩ませていた時期でした。

あとは経営ブログを読んでほしいのですが、その誘いを受けたとき最初の感想が、

「面白そうだな!」

でリフレ店を始め、紆余曲折(リフレ店のWebサイトとSNSの運用だけやるつもりが風営法を自分で出すことになったり、系列店のはずがサポートなしの新規店として始めることになったり…)あって今に至ります。

よろしくお願いします

今回は、公務員になろうと思っていたのに気が付けばリフレ店の店長になっていたぼくの話をご紹介させていただきました。

ぼくの人生はまさにこれだなと思うものに「計画的偶発性理論」というものがあります。

子供のときに定めた夢や目標を達成できる人は少なく、またそれに固執すると人生の選択肢を狭めてしまう可能性もあるため、より柔軟に人生の狭間で偶然的に舞い込むチャンスを都度つかみ取りながらキャリア形成をしていくという考えです。

ぼくが今でも人生で1番求めているものは平穏です。

それがなぜ今リフレ店をやっているのか、その平穏を手にするのは一体いつになるのか、次の偶然が舞い込むまでもう少し今のお店を続けてみるつもりでいます。

これからもいろいろ書いてみようと思うので、もし良かったらフォローよろしくお願いします。

この記事を書いた人
加藤店長

 

秋葉原リフレ店「JKJKJK」の店長。JKリフレ店の経営ブログを毎日更新してます。元保険会社勤務。経営の舞台裏を全部見せながら秋葉原で1番のリフレ店を目指しています。趣味は立ち食いソバと熱帯魚と株主優待。お店の公式𝕏⇒@j_k_j_k_j_k_:店長の𝕏⇒@jkjkjk_akiba